第4ブログ 『感覚派と理論派って』

なんだかんだで3ヶ月くらい行ってなかったからそろそろ髪を切りにいかなければと思っていた。それにも関わらず引っ越してから通っていたところが緊急でお休みになっていた。まあ、別の日でもいいかと悩んではいたが、暑苦しい髪をどうしても切りたかったので適当にネットで調べたところに行ったがこれが大正解だった。

別にいつもより見違えるほどお気に入りの髪型になったわけではないけれど、中々に素晴らしさを感じた。大抵美容室では、くだらない世間話というか当たり障りのないことを言ってなんとなく沈黙を流さないように場を温かくする会話ばかりだ。それにずっとなんとなく違和感なのが自分の体のことなのざっくりとしか髪型の説明しかされないことだ。これって手術でいえばちょっと胃のあたりが膨らんでるので膨らんでるところ切っちゃいますねって言われてるのと同じだ。どう切るのか切ったらどうなるのかの説明を全然してくれない。これは自分がいっていたところがどうしようもない場所だったのか分からないが個人的な感覚でいえば大体の美容室がこんな感じだと思う。

それに比べて今回の行った美容室は、まず初めに今の髪型の状態とそれの悪いところ、またどうしてそうなったかを説明して、その改善案となる髪の切り方を伝えてくれた。とても素晴らしい。それに加えて切りながらも今こういうことをしていてこうすることでこのように見えるなどしっかりと説明しながら切ってくれた。そして、普段の髪の整え方や伸び始めた頃の対処法まで教えてくれた。普段よりも学びが得られてとても楽しい美容室だった。

そして帰り道にふと気づいた。やっぱり自分は理論的なものが好きなのだと。いや、なにか自分の持っている知識や技術を言語化できる人が好きなのだと。なんとなくではなく、なぜそうなるのか説明できる、もしくは、自分なりの仮説を持っているとその技術に対して肯定か否定をしやすい。世間ではこういう人を理論派と言う。これに対して、なんとなくと言われるとその技術に白・黒をつけにくい非常にめんどっちい理論を提唱する人がいる。こういった人を人は感覚派と呼ぶ。つまり理論派と感覚派は対立関係にあると大抵の人は言うがそれは違うと思う。そもそも後者を感覚派と形容するのは感覚派に失礼だ。なんとなくという人はたんなる感覚を言語化するほど突き止めない人であってそれはまた別の話だと自分は思っている。世の中のどのジャンルにも感覚スタートからえげつないほどの言語化を出来る人がいる、それに対して、脳内からの思考スタートから言語化を出来る人がいる。つまり、感覚発と思考発の人間がいてレベルが高い人ほどそれを言語化出来て、レベルの低い人ほど言語化出来ないという話だ。

 

つまり、世の中の感覚派と自称するやつは全員馬鹿だ。

しかしながら自分も、ブログの書き方を文字で説明できないので明日でブログ書くの辞める。